AIのタイムライン ─ 提案されている論証と「専門家」の立ち位置

この記事でははじめに、この連載中の以前の記事で扱った複数の視点から、変革的AIの開発時期がいつ頃になるのかを要約的に説明します。
次いで「この話題について専門家の間に揺るぎないコンセンサスがないのはなぜなのか、またこの事実は私たちにとって何を意味するのか」という問題を検討します。
私の見積もりはこうです。15年以内(2036年迄)に変革的AI(transformative AI)が出現する確率は10%以上、40年以内(2060年迄)であれば約50 %、今世紀中(2100年迄)であれば約2/3の確率がある。
(「変革的AI」ということで「私たちが質的に異なる、新たな時代に突入させることになるほど強力なAI」のことを私は意味しています。私が PASTA と呼ぶものに特に焦点をあてます。これは、科学的・技術的進展の速度を増加させるためのすべての人間活動を本質的に自動化しうるAIシステムのことです。PASTAは、生産性の爆発的な向上とともに逸脱したAIに由来するリスクの可能性をもたらすために、今世紀を最も重要な世紀とするのに十分なものでありうると、私は論じています。)
これが、AIの発展予測にアプローチする様々な、異なる視点からの技術的な報告を踏まえて、私が辿り着いた結論の概要です。そうした報告の多くは、長期主義的な助成金提供を考えるために、変革的AIの発展予測に関する徹底した描像を描こうとする過程で、ここ数年間でオープン・フィランソロピーが作成してきたものです。
こちらは、私が検討してきた、変革的AIの予測についての異なる視点をひとつの表にまとめたものです。以前の一連の投稿で展開したより詳細な議論と、裏付けとなる技術的な報告へのリンクも合わせて載せています。
| 予測の観点 | 詳細を論じた重要記事(タイトルは省略されている) |
|---|
| 変革的AIに関する確率推定 | ||
| 専門家対象の調査。AI研究者の見積もりは? | AIの専門家から得たエビデンス | 専門家対象の調査から得られた示唆によれば 2036年迄は約20%の確率、 2100年迄は70%の確率で変革的AIが登場する。 (少数の回答者への)設問の表現を僅かに変えただけでも、推定されるタイミングはかなり後ろにずれた。 |
| 生物学的アンカー・フレームワーク 「AIのトレーニング」にかかるコストの通常のパターンに基づくと、人間の脳ほどの大きさのAIモデルを人間に行える最も困難な課題を遂行できるまで訓練するには、どれほどのコストが必要になるのか。また、誰かがAIにそのような訓練を施すことができるくらいにコストが下がるのはいつごろか。 | ブレインコンピューティングに基づく生物学的アンカー・フレームワーク | 2036年迄の確率は10%より大きく、 2055年迄は約50 %、 2100年迄は約80 % |
| 証明責任の観点 | ||
| どの任意の世紀においても、その世紀が「最も重要な」世紀である確率は低い。(詳しくはこちら) | 岐路、「岐路」論文への反論 | AIの詳細を尋ねる以前にも、この世紀が「特別」だと考えられる理由は多数ある。その多くは以前の記事で扱ってきたし、その他の理由は次の行で扱われている。 |
| (a)変革的AIの開発作成に人びとが取り組んできた年数と(b)それに対するこれまでの「投資」の規模(AI研究者の数と彼らの計算量)、(c)人びとが変革的AIをすでに開発したかどうか(これまでしてないか)に関する基本的情報だけを前提として、変革的AIのタイムラインはどう予測されるのか。(詳しくはこちら) | 半情報事前確率 | 主な推定値 2036年迄が8 % 2060年迄が13 % 2100年迄が20 % 私見では、この報告はAIの歴史が短く、AIへの投資が急速に増加しているという事実を反映している。したがって、変革的AIが今すぐ開発されるとしても、それほど驚くべきではない。 |
| 経済モデルの分析と経済史に基づくと世界経済の年間成長率30%以上として定義される「爆発的成長(explosive growth)」が2100年までに起こる確率はどのくらいか。これは、この結論を疑ったほうがいいくらいに「正常な」値から逸脱しているだろうか。(詳しくはこちら) | 爆発的成長、 人類の歩み | 「人類の歩み」は過去のデータのみに基づいて未来を予測し、2043-2064年迄に爆発的成長が起こると示唆している。 「爆発的成長」は次のように結論付けている。「経済学的考察によっては、変革的AI(TAI)が今世紀中に開発される可能性を棄却する適切な理由は見つかりませんでした。実のところ、十分に発達したAIシステムが爆発的成長をもたらすと予測する妥当な経済学的見解も存在します。」 |
| 「過去に…人びとはAIについてどのような予測を立ててきたのか。また、これまで立てられてきた予測から観察できるパターンに合わせて、今日の我々が抱いている見解を修正すべきだろうか。… 過去、AIは繰り返し持ち上げられ過ぎてきたし、それゆえ今日の予測も、楽観的過ぎる可能性が高いという見解に出会ったことがある…」(詳しくはこちら) | AIの発展に関する過去の予測 | 「AIの過剰な喧伝は1956-1973年の間に行われていたようだ。それでも、この期間になされた最も有名なAI予測の一部について言えば、それが過大広告だというのはたいてい、大袈裟である。」 |
透明性を確保するために、多くの技術的な報告が Open Philanthropy による分析であること、私は Open Philanthropyの共同最高経営責任者(co-CEO)であることを注記しておく。
以上の考察を踏まえても、読者の一部はまだ落ち着かない気持ちを抱いているのではないかと予測する。私の議論が理にかなっていると考えていたとしても、次のように考えるかもしれない。これが正しいなら、なぜもっと議論され、人びとに受け止められていないのだろうか。専門家たちはどんな意見をもっているのか。
現時点の専門家の意見を、私は以下のように要約する。
つまるところ私の主張は、その研究に専心する専門家がいない分野を話題とするものです。これは、このこと自体が既に恐ろしい事実であり、早晩変わって欲しいと私が願うことです。
とはいえ、そうなる前にも、「最も重要な世紀」仮説に基づいて行動しようとすべきなのでしょうか。
以下で私が論じるのは次の項目です。
上に挙げた技術的な報告が分析した問いには、例えば以下のものがあります。
「最も重要な世紀」に変革的AIがもつ広範囲に渡る含意について語るとき、私は「デジタル化した人間や銀河中の植民地化の実行可能性」などを論じてきました。これらは物理学や神経科学、工学、心の哲学等々に触れる話題です。
変革的AIの登場がいつになると予測できるのかという問題、あるいは、私たちが最も重要な世紀にいるかどうかという問題の専門家になるための職や資格は存在しません。
(特に、この予測に関しては、もっぱらAI研究者に頼るべきだというどんな主張も、私には受け入れがたいです。この話題についてAI研究者はそれほど真剣に考えてないように思われるだけでなく、これまでになく強力なAIモデルの構築を専門とする人びとに頼って、変革的AIがいつ登場するかを教えてもらおうとするのは、太陽光エネルギー関連の研究開発企業 ── あるいは、あなたの見方次第では、原油掘削会社 ── に頼って、二酸化炭素の排出や気候変動を予測してもらうようなものです。AIの研究者たちが全体のピースになることは確かですが、しかし予測というのは、最先端のシステムを発明、構築することとは区別される活動です。)
加えて、こうした問題がひとつの学術分野の体裁をとるかどうかも、私には定かでありません。変革的AIを予測しようとすること、あるいは、私たちが最も重要な世紀にいる確率を見極めようとすることは、
つまり、変革的AIの発展予測や「最も重要な世紀」に関する専門知にとっての自然な「住処となる学術機関(institutional home)」がどのような外観を呈するのかが、私には明らかではないのです。とはいえ、この種の問いに献身する大規模で強固な学術機関が存在しないと言うに留めておくのが、適当でしょう。
専門家の間に揺るぎないコンセンサスが欠けているため、一部の(実はほとんどの)人びとはどのような議論が提示されようとも、疑いの眼差しを向けるだろうと予測します。
極めて一般的に見られる懐疑的な反応の内、私がある程度の共感を抱いているのは次のものです。
あなたがこんな風に感じるのもわかるし、私自身、ときたま同じように感じてきました ── 特に1-4番目の点についてはそうです。しかし5番目の論点が正しくないと考えられる3つの理由を指摘します。
変革的AIの到来は COVID-19パンデミックのよりゆっくりとした、しかしよりリスクの高いバージョンのようなものとして起こるのではないかと私は心配しています。今日利用可能な最善の情報と分析結果を観れば、何かしら大きなことが起こるという予測を支持する事実は存在します。しかしこの状況はかなりの範囲にわたって馴染みのないものです。私たちの制度が常日頃から扱っているパターンに合わないのです。しかも、どの追加の活動一年分も貴重です。
変革的AIの到来は、気候変動にあったダイナミクスの速度が増したバージョンだと考えることもできます。温室効果ガスの排出が(18世紀中盤ではなく)最近になって始まったばかりだったとして、また、気候科学という分野が確立されていなかったとしたら、どうなるか想像してみてください。排出量の削減に努める前に研究分野が確立されるのを何十年も待つというのは全くもって良くない考えでしょう。
私は真剣ですよ。
数年前に、私と何人かの同僚たちは、「最も重要な世紀」仮説がもしかすると真でありうるのではないかと考えました。しかしこの仮説に基づいて行動を起こし過ぎるその前に、この仮説に致命的な欠陥がないかどうかを確かめたいとも考えました。
過去数年間で私たちがしてきたことは、あたかも「最も重要な世紀」仮説が誤っていることを明らかにするためにできるあらゆることをしてきたのだと解釈することもできます。
第一に、私たちは重要な論証についてAI研究者や経済学者等々、なるべく色々な人びとと話してきました。しかし
以上の事情から私たちは、重要な論証の多くについて、技術的な内容の報告を作成することに力を注ぎました。(これらの報告は現在公開されています。この投稿の最上部にある表を参照してください。)これによって私たちは論証を公開することができ、決定的な反論を迎える用意ができました。
それから私たちは、外部専門家に意見を求めました。
あくまで自分自身の意見を言わせてもらえるなら、「最も重要な世紀」仮説は、以上すべての過程を経てもなお妥当な仮説として残り続けているように思われます。実際、様々な観点から、より詳細を詰めていった後で、私は以前よりも強く、この仮説が正しいと考えるようになっています。
しかしそう思えるのは、真の専門家たち ── 破壊的な反論を手にしているが私たちにはまだ見つけられていない人びと ── には問題全体があまりに愚かしくみえ、あえて真剣に関わろうとしていないからだとしましょう。あるいは、いま生きている誰かがいつかこうした話題に関する専門家となって、問題の論証を撃破するとしましょう。それが起こるために〔つまり、真の専門家が真剣に議論に参加し始めたり、誰かが決定的な反論を思いつくために〕私たちに何ができるでしょうか。
私が思いつく最善の答えは「この仮説がもっと有名になり、より広く受け入れられ、より影響力をもつなら、もっと批判的に検討されるようになるだろう」というものです。
この連載はその方向で ── 「最も重要な世紀」仮説に関するより広範囲からの信用を得る方向へ ── 舵を切ろうと試みるものです。仮説が正しかったとしたら、この試みも善いことであるでしょう。私の唯一の目標が、私の信念に挑戦し、それが偽であることを知ることにあったとしても、この試みは次に取るべき最善の一手であるようにも思われます。
もちろん、もしあなたに「最も重要な世紀」仮説が正しいように思えないなら、この仮説を受け入れたり、推し進めたりしろと言うつもりはありません。それでも、もしあなたが踏みとどまる理由が、専門家の間に揺るぎないコンセンサスがないというそれだけであるとしたら、現状を無視し続けるのはおかしいように私には思えます。もしみんながみんなこの仕方で振る舞ったとしたら(つまり、どんな仮説も、揺るぎないコンセンサスに支えられていなければ無視するのだとしたら)正しい仮説も含めて一体どんな仮説が周縁的な位置から、広く受け入れるようになるのか分からないように私には思われます。
私がGiveWellに力を入れていた頃、事あるごとに、人から大体次の趣旨のことを言われたものです。「あらゆる議論を、GiveWellがトップの慈善団体におく水準に保つ ── ランダム化比較試験、揺るぎない経験的データ等々を求める ── ことはできない。善いことを行う最高の機会には、あまり明白でないようなものもある ── そのため、GiveWellのこの基準では、インパクトをもつための最大の潜在的機会を一部、逃してしまうことになる。」
これは正しいと私も考えます。推論やエビデンスに関する基準についての自分の一般的なアプローチをチェックして「自分のアプローチでは上手くいかないが、自分のアプローチが成功してほしいと真に思うシナリオはどのようなものか」と尋ねるのが重要であるように思われます。私の見解では、最も重要なタイミングで正しいことを行えるなら、自分勝手な思い込みに陥ったり、蛸壺化する一定程度のリスクを負うことに問題はありません。
専門家の間に揺るぎないコンセンサスがないこと ── そして自分勝手な思い込みや蛸壺化することへの懸念 ── は、「最も重要な世紀」仮説をすぐさま受け入れるよりも、その粗を隈なく探す良い理由になります。まだ見つかっていない欠陥がないかどうかを尋ね、私たち自身をつけあがらせる偏見を探し出し、この論証で最も疑問の余地があるように思われる部分を研究する、などのことを行うことができます。
しかし、この問題をあなたにとって理に適う/実際的な程度に探求したことがあるとしたら ── そして「専門家の間に揺るぎないコンセンサスがない」とか「自分勝手な思い込みに陥っていたり、議論が蛸壺化していないか心配だ」といった考慮事項以外の欠陥を見つけていないとしたら ── 「最も重要な世紀」仮説を見限ることで、本質的にはあなたは、〈機会が生まれたときに、途方もなく重要な問題の存在に気づき、それに対して行動をとる初期の人間になり損ねる〉のは確実だ。私が思うに、善いことをたくさん行う潜在的な機会を放棄するという点で、それはあまりに多くのことを手放すことになる。
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